竹原市立義務教育諸学校の適正配置について

更新日:2022年01月19日

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はじめに

 我が国は、19世紀後半の明治時代から、どのような小さな集落であってもそこに学齢児童生徒がいれば、国のすみずみまで学校を設置し、国民全体の高い教育水準を維持することで立国の大きな支柱とした。そのため、戦前まで教育を受けることは国民の義務として位置づけられてきたが、第二次大戦後の20世紀半ば以降においては、国民の権利として理解され、義務教育段階は言うに及ばず、中等教育段階までほとんどの国民が教育を享受している。高等教育段階の教育を受ける者も同年齢の半数に近づき、平成20年には特定の高等教育機関でなければ、進学を希望すれば全員入学できるまでに教育は普及していくことが予想される。
 昭和40年代以降の広島県の教育は、国民主権に立つ議会制民主主義という国の体制にもかかわらず、憲法・教育基本法体制の擁護を標榜しつつも、教育に関する法律を無視したり、教育実践に対して法的な拘束性を有する学習指導要領を無視したりする教育が散見された。これが文部省(現文部科学省)による是正指導の対象となり、公教育としての「中立性」を遵守する教育活動がようやく定着しつつあり、正常化しつつある。この間、広島県の公立学校の実績は小学校、中学校段階においてはそれほど顕在化しなかったが、高等学校段階は全国的な水準から大きく下回り、一例だが、県民は子どもの教育を県外に求めたり、広島県に職場移転をする者は単身赴任したりという異常な現象を生んだ。
 竹原市は地理的には広島県南部の中心にある。地元にかつて優秀であった二つの伝統的な高等学校を抱えながらも、市外の私立学校や正常化した公立学校に学習の場を求める傾向は続いている。県立学校批判を展開するだけではこの問題は解決しない。管轄が違っても、県立学校の改革は地元の要望があれば可能である。市民はそのような努力をしただろうか。教育水準の低下を知りながらも進学の容易さに甘んじていたのではないのだろうか。竹原市は全国的にみれば教育実績においてどのような水準に位置するのであろうか。客観的なデータに照らして学校改善を行ったことがあるだろうか。かつて竹原市と深い縁のある頼山陽は「天才」と呼ばれることを嫌い、「努力」を評価してほしい旨の言説を残している。市民は教育改革において努力しなければならない。竹原市自体は、成長した児童生徒全員を受け入れる産業的基盤が脆弱である。しかし、これからの子どもは新たな生活基盤を創造していくと期待したい。教育に力を入れ、自立し、生活基盤を創造する人間形成を行うことは一般行政の改革以上に喫緊の課題である。
 竹原市の義務教育諸学校の適正配置を論及することが本懇話会に課せられた職務であるが、簡潔に言えば、学校の統廃合の問題をどう処理するかということである。学校の統廃合は原則として「教育の論理」に基づいて進捗させるべきである。何よりも「子どもの教育の質」の確保を考えて適正配置すべきである。「経済の論理」や効率性だけを優先させるべきでない。そのような思考は、明治時代において小さな集落であっても国のすみずみまで学校を設置し、国民に教育義務を課してきた精神にもとる行為と理解されよう。国民の教育権を保障する、現代的に言えば国民の学習権を保障するという精神に立って、学校教育を考える必要がある。学齢児童生徒が1人でも居れば、学校を継続させたいと考える気概は「教育の論理」の原点であり、学校を管理する設置者の姿勢として保持されるべきものである。
 ところが、現代の教育は人格の完成を目指し、個人のみを対象にした教育が通用せず、個と個の関係性、あるいは個と国や社会との関係性、個と異文化の人々との関係性を重視する教育へと展開している。それゆえに個々の差異性を尊重しつつ共生するという生き方を学習しなければならない。そのために、たとえば、適切な集団的思考や、ITなどを活用したマルチメディア教育等を求めている。
そのような意味において学校には一定の学習集団が必要である。その集団規模の最低限度をどの程度にするかは本懇話会の大きな課題である。竹原市は島嶼部や山間部という、いわゆる「僻地」や「辺地」と称されるところではない。学齢児童生徒が少なくなっているが、交通体系は比較的整備されており、都市機能を備えている。それゆえ、できるだけ適切な教育が提供できる学校の配置を考えないといけない。
 我々はこのように、教育の論理を優先させ、学齢児童生徒の教育が適正に行われる学校の物理的配置を検討することにした。そのさい、設置者においても、学級定員を25名以内にしたり、安全なスクール・バス等を用意したり、優秀な教職員を確保するような手だてなどを求めたい。また、若い保護者の就労や育児等の生活を保障するために学童保育の拡充等を図るなどの就学支援の手だてを要請する。設置者のそのような努力がなければ、市民はその保護する子女の教育を竹原市の公立学校に委託することを避けるかもしれない。

平成15年8月29日

竹原市立小中学校適正配置懇話会

目次

  1. 論点の整理
  2. 具体的な試案
    1. 具体的試案を考える立場
      1. 学校の統廃合に慎重な立場
      2. 学校の統廃合はやむなしとする立場
      3. 学校の統廃合に肯定的な立場
    2. 具体的試案
      1. 小学校
      2. 中学校
    3. すべての学校にかかわる試案
      1. 義務教育諸学校区の廃止
      2. 適正配置基準
      3. 学校間協力
      4. 教育の質の向上
    4. おわりに

「資料1 諮問文」、「資料2 議事録」については、下記リンクの各項目をご覧ください。

「資料3 竹原市立小中学校適正配置懇話会設置要綱」、「資料4 竹原市における義務教育諸学校の児童生徒数の推移」については、下記リンクの各項目をご覧ください。

  • 資料5 竹原市の学校統廃合の歴史

「資料6 竹原市立小中学校適正配置懇話会委員名簿」については、下記リンクをご覧ください。

1.論点の整理

 ここでは義務教育諸学校の適正配置にかかわる教育の理念を論及すべきであるという委員の要望により、竹原市の教育改革との連動をどう図るかという観点に絞りながらも、幅広く市の教育の在り方を考えたので、それらを報告する。

論点1 竹原市の特色ある教育の充実

 平成14年度からは、完全学校週5日制の下で、各学校がゆとりのある教育活動を展開し、子どもたちに生きる力を育むことを基本的なねらいとして展開されている。このような教育内容、方法等の変化に対応するためには、これまでの竹原市の教育を見直し、不易なものと時代に対応したものとを確認するとともに、市の特色ある教育政策のもと、各学校においても特色ある教育の充実が可能となる学校の姿を求めなければならない。

(1)人間教育の充実を図る

 若い人口層が定着しない竹原市の誘因性の欠如は、経済基盤等の外部要因だけにその原因を求めるのではなく、人間のうちに醸成される郷土に愛着を覚える教育の拡充の必要性も内部要因として指摘しなければならない。
 竹原のシンボルの「竹」は、土にしっかりと根を張り、少々の困難にもかかわらず、真っ直ぐに成長して、自然の風雨や地震にもたくましく生きている。そこに、耐性をもってしなやかに生きるたくましさを感じ取ると同時に、人間としての純粋さを学び取ることができる。竹原の教育は社会的な理不尽を許さない道徳性と、確かな学力をしっかりと身につける適切な教育を可能にする学校教育を展開する必要がある。そのためには、このような教育を可能にする「場」の適正化が必要である。

(2)児童生徒の個性に対応すると同時に質の高い教育が可能な学校にする

 児童生徒の「学習力」を尊重し、かつ、伸長する教育内容や教育方法等が求められている。そのためには、教職員をして、安易な「教え込み」ではなくて、児童生徒自らが「自己教育力」を発揮するような学習を進捗させるように、教師としての力量を発揮できるよう指導力の転換と向上を図る必要がある。それと同時に、そのような学習を可能にする条件整備を図らなければならない。それらの一環として、児童生徒の個性に応じて、多様な学習内容や学習形態が可能な適正規模の学校が求められるのである。
 ところが「ゆとり教育」は誤解されたままに遂行されていることが多い。学習には限界がない。しかも、それは、児童生徒に身体的にも精神的にも非常な労苦を強いるものである。かつての賀茂川中学校の「自発協同学習」は、生徒に「授業」が成立する自主的な労苦を求めた。全国的な「ゆとり教育」の誤解によって、児童生徒の「放任主義」的傾向を許し、低学力を招いている実態を看過してはならない。ゆとりは、児童生徒がじっくりと思考して「解」を見出したり、最後までやり遂げることによって作品を完成させたり、少人数ではできない社会性の育成を図ったりするなどの教育を展開するためにある。
また、近年では、グローバリゼーションに対応する日本人の育成やマルチメディアを活用した高度な教育を求めている。このような社会変化及び時代精神の進歩に対応する教育を可能にする学習環境を整備しなければならない。高い質の教育を進展させるためには、「明治の気概」を踏まえつつも教育の質を保障する一定の合理化が必要とされる。

(3)健康的かつ安全で豊かな学校にする

 児童生徒の安全の確保、豊かで多様な学習が展開できる施設や職員、学校施設の環境自体が潜在的なカリキュラムとして有意義な効力を持つ環境等を備えた学校にする必要がある。そのためには学校の危機管理能力の向上を進めなければならない。それと同時に、地域社会の支援が求められる。

(4)生涯学習やコミュニティづくりの中核としての学校づくり

 地域住民の生涯学習の拠点性、児童生徒の成長と発達を支援する住民主体の地域教育経営の拠点性を大切にしたい。それらと同時に、教育施設、学習施設としての存続だけでなく、福祉や労働等の施設との複合化や、全県的なニーズのある教育施設化などを推進し、地域住民の経済的基盤になるような方策も求められる。

設置者の対応

(1)自然体験、社会奉仕体験等の活動を可能にする学校間の機能分担

 一校ですべての多様な学習内容や学習形態が可能な学校は少ない。児童生徒の主体的な活動や「竹」のようにしなやかに生きる力を育成する活動を可能にするには、学校間の機能分担による対応が求められる。

(2)学校の適正規模の確保

 最近の学校教育は、一斉指導から学習へと転換している。そのさい、文部科学省が指摘するような「ティーム・ティーチングによる学習、個別学習、少人数指導による学習、グループ学習、複数学年による学習等の活動及び児童生徒が学習成果の発表などに対応するための学習メディア等が活用できる多目的な空間」を持ち合わせるためには、学校の適正規模を確保し教育の質を高める努力を要する。このような教育が不可能な学校が存在するような状況は解消しなければならない。そのためには学校統合もやむを得ない。

(3)児童生徒の安全と保護者の勤労を十分配慮する施策を必要とする

 学校管理下の安全管理には特に配慮する必要が増している。統廃合が進んだ場合、特に、通学(路)の安全を図る手だてを必要とする。また、保護者の勤労を保障するため、学童保育などの拡充を図らなければならない。スクール・バスを運行すること、中学校段階であれば宿所の確保も課題になる。完全学校週五日制において「勤務を要しない日」の教職員の常態的な「学校管理下の自発的活動」は許されない。児童生徒の土曜日、日曜日や祝祭日の生活の教育性を高める必要性があれば、教職員以外の指導者の拡充で対応しなければならない。課業日における授業支援者や休業日の指導者は教職員の年齢構成を考えて、専門性の高い若い人材が望ましい。

(4)地域教育経営システムを持ち合わせる

 地域で学校を支える体制が求められる。児童生徒の新たな問題行動や非行に敏感な地域でありたい。それはこれまで蓄積してきた人権尊重の精神を基底としながら、非行の芽を摘み取ることや健全な生活環境を整備することである。これらは地域住民の力を必要とする。単なるボランティア活動ではなくて、常態的に活動していくNPOなどの組織化が求められる。また、教育行政が推進・支援する教育的コミュニティの形成も必要である。

(5)IT情報機器の活用や国際理解の推進を図る

 竹原市は学校教育のみならず社会教育においても進取性に劣る。IT情報機器をはじめ、さまざまなメディア教育、とりわけ伝統的な読書教育の充実を図りたい。幼少期の読解力は青年期や成人期の思考力に結びつく。また、今後必要性が高いと考えられる英語教育、中国語教育などは幼少期から取り組み、国際社会に通用する人材を育成する必要がある。児童期から外国語のスピーキングやリスニング能力の育成はこの分野の柱になる。英語教育の拡充は全国的な動向である。中国語を挙げたのは、21世紀に著しく成長が予想される国であり、竹原市の産業振興の点で評価するからである。

(6)総合的な学習の時間を活用して真に創造的で自己教育力を持った人材を育てる

 この教育は、基本的には個人の自己教育力の育成にあると考えるが、多様な学習内容や学習形態に対応するためには、一定規模の児童生徒数が必要である。少なくとも少人数ではあるが集団思考が可能な7〜8人の同一年齢層の集団が必要と考える。そのためには学校の統合や学校間協力が必要になる。
 体験的な学習を推進するためには、地域社会の人々の協力や自然環境等に恵まれた環境を持った学校が必要である。

論点2 適正規模について

(1)適正規模

 教職員配置の在り方等に関する調査研究協力者会議は「今後の学級編制及び教職員配置について」(平成12年5月19日)を報告した。これによれば、公立小・中学校の学級編制は、国の標準に従い各都道府県において基準を定めるという制度の基本には変化がない。しかし、都道府県教育委員会の判断により、児童生徒の実態を考慮して特に必要があると認められる場合には、国の標準を下回る数を基準として定めてよい。市町村教育委員会は県と協議をして、独自の学級規模を設定することができるが、県費負担教職員の定数に関する規定が改正されていないので、独自の学級規模を設定すれば人件費等の負担は市町村の負うところとなる。財政負担が大きくなることから実際に編制基準を下回って学級を運営する市町村は少ないだろう。しかし、学級編制規模の適正化(25人から35人の範囲が多い)は大きな意義を持つ。
 学級編制及び教職員配置の在り方は制度的なものだが、学級編成についてはそれぞれの学校がその自主性・自律性を踏まえて特色ある教育課程の編成や多様な指導形態・指導方法を展開するために柔軟な方がよい。平成14年度から実施された新学習指導要領では、「総合的な学習の時間」の導入など、各学校において今後さらに特色ある教育課程を編成することを期待している。それは、各学校が創意工夫を凝らしてより多様な指導形態や指導方法を展開し、そのためにふさわしい指導組織を構成し、教職員が一体となって教育活動を展開していくという内容からなる。
 ともあれ、制度的な意味での適正な学校規模は、文部科学省の指し示すところと、最近の各種自治体の答申の多くをみると、小学校は少なくとも1学年2学級(学校全体12学級)、中学校は1学年4学級(同12学級)程度となっている。

(2)学級編制と教職員配置

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律が一部改正され、学級編制は、都道府県教育委員会の判断によって、「児童又は生徒の実態を考慮して特に必要があると認められる場合については、…(国が標準として)定める数を下回る数を、当該場合に係る一学級の児童又は生徒の数の基準として定めることができる。」制度となった。
 この制度改正の趣旨を踏まえ、平成13年度以降、学級編制の弾力化を図ることとした自治体が増加しつつある。1.児童生徒数が一定数以上の場合に学級編制を弾力化する例として、愛媛県をみると、小学校1年を対象に、児童数が概ね100人を超える学校できめ細かな指導が必要な場合、35人以下で編成する。中学校の場合、中学校1年を対象に生徒数が概ね200人を超える学校できめ細かな指導が必要な場合、35人以下で編成するという内容である。2.特別の事情がある場合に学級編制を弾力化する例として、千葉県をみると、「生徒指導上困難な学校等について、特に、きめ細かな指導を必要とする場合」とある。
 文部科学省の資料を参考にすると、総じて、大規模校で、小学校、中学校ともに1年生・2年生といった低学年を対象にして「きめ細かな指導」をするという意向のもとに弾力化に取り組もうとしている。

(3)設置者の多様化

 小泉内閣は教育における構造改革に拍車をかけ、これまで国、自治体、学校法人が学校の設置主体であったものが、教育特区においては株式会社立、NPO立などの学校を認める方向にある。また、学校教育法第一条の学校(以下、第一条校と言う)に限らず、これまで各種学校であった外国人学校などの第一条校への入学、特に大学への入学が改革の肯定的な方向にある。コミュニティ・スクールの趣旨に沿えば、たとえば、本市の教育行政の意向に沿わない地域があれば、その地域の住民が、公教育として、児童生徒の学習権を保障できる条件を満たす範囲で、学校理事会等を設置して独立した学校経営を行うことができる。しかし、現段階では公立学校は設置者管理制度下にあり、学校管理権者である教育委員会の管轄の下にある。したがって、本市が教育特区として認定されなければ、そのような学校の経営形態は許容されない。しかしながら、教育行政のマネジメント能力の発揮で、地域住民のかかわり方が異なる多様な学校経営が展開できる時代を迎えている。

設置者の対応

(1)少人数指導の必要性

 適正規模に達していない学級数の学校においても、少人数指導の必要性はある。少人数指導は、教科の面では、個々の児童生徒の個性を伸長する必要性が高いものや、到達度が明確でその達成度において個々の児童生徒間に大きな差が生じやすいものや、好き嫌いが顕著に現れやすい教科に向いている。また、小集団といっても共同学習を必要とする場面ではなく、どちらかといえば個別学習を主体とする授業に適している。いずれの場合も教員一人では効果が薄く、少人数指導こそ複数の教員が期待される。そうでないと、きめ細かな指導はできない。全体が少子化で適正規模が確保できない本市ではあるが、指導上の優れた実践は取り入れるべきである。
 少人数指導が「授業」の効果にどのような作用を及ぼすかについては、研究上、ポジティブな傾向が認められるという程度である。「授業」において、個々の児童生徒と教師との直接的コミュニケーションが必要な場面であっても、学力向上への直接効果は明確でない。その場では「基礎・基本の確実な定着」があるようにみえても、児童生徒が真に理解しているとは限らないからである。その点、少人数指導を採用すると生徒指導面においては効果が顕著である。それも即時性がある。この効果が「授業」の秩序性に反映し、間接的に学力面での向上につながる。
 児童生徒の「学習」を尊重するならば、学習課題を同じくするもの、学習の進捗度が同程度のもの、といったさまざまな観点から小集団を組織化し、学級の枠を超えた学習集団の組織化も有効である。各学校は教職員の創意工夫に基づいて、特色ある教育課程の編成や各教科をはじめ総合的な学習の時間などにおいて創造的な教育方法を展開することが期待されている。少人数指導もその一環であり、多様な指導形態や指導方法を導入できるように、学校の既存システムを所与のものと見ないで、可変的なもの、自分たちで改善可能なものと理解することが肝腎である。学級もそうである。さまざまな集団の中で個を伸長する柔軟な思考法が求められる。

(2)多様な学級編成

 文部科学省の指摘するところによれば、つぎのような理解の転換が求められている。「特色ある教育課程の編成、少人数授業などきめ細かな指導、総合的な学習の時間や各教科の指導における多様な指導形態・指導方法を導入できるよう、一元的な学級の捉え方を見直し、今後、学級は生徒指導や学校生活の場である生活集団としての機能を主としたものとして位置づけ、これまで一体のものとして含まれていた学習集団としての機能については、学級という概念にとらわれずにより柔軟に考えることが効果的と考えられる。」
 学級編制は教育行政の役割であるが、学級編成は校長の学校裁量権の範囲に置く方がよい。教科や指導内容に応じてより効果的な学級(学習集団)の編成は、子どもの実態と地域の教育的要望をよく知る立場にある校長の裁量権に属する方が、マネジメント感覚の適用によってより効果的な学習を可能にすると考える。

(3)学校経営権の委譲

 自治体によっては、フリースクールやシュタイナー学校などに通常の第一条校と同様な処遇を文部科学省に働きかけている(教育特区構想)。竹原市においてはこのような学校は存在しないが、広島県全体を見回すとき、この種の学校のニーズは存在する。竹原市に居住する子どものためにも、他の自治体に存在する子弟のためにも、廃校を余儀なくされる学校をこのような意義ある学校に転換して本市が経営していくことには大きな意義がある。適切な経営主体がある時は、一定の契約のもとに経営権の委譲を考えてよい。

論点3 通学区の弾力化と学校選択制

(1)通学区の弾力化

 行政改革委員会の「規制緩和の推進に関する意見(第2次)」(平成8年12月16日)において、保護者の意向に対する十分な配慮や選択機会の拡大の重要性、学校選択の弾力化に向けた取り組みなどについて大幅な規制緩和が認められた。
通学区の固定化は、児童生徒数が「適切な教育」を展開できるためにふさわしいときには大きな意味を持つが、少子化等によってそれが保障されなくなったときには通学区の再編成が課題になる。
どのような通学区を考えるかは、「学年」制の規制緩和がない以上、学齢児童生徒の集団思考における最低限度の適正規模を基準としなければならない。それは集団力学の研究成果が示すところによれば、最低限度で7〜8名程度である。これを下回ると、個人学習は可能でも、集団思考をともなう教科の適切な学習が保障されない。もちろん、集団活動、集団演技などを求める体育や音楽などや、道徳や特別活動として展開されるさまざまな体験活動も意味をなさなくなる。
学校段階も留意しなければならない。小学校は通学区の弾力化といっても本市の地勢、形状から考えて通学に困難なところがあり、学区の統合(広域化)は考えられても、学区を廃止することはできない。この点、中学校区は現在の通学区を廃止し、本市全体で一学区とすることも考えられる。

(2)学校選択制の導入

 平成15年からの義務教育諸学校の自己点検評価とその公表の義務化(設置基準の制定)は、学校選択制の準備段階と理解してよい。(外国では学校の教育活動およびその成果などの情報をインターネット等によって広く提供する。それらの情報に基づいて、児童生徒や保護者が相談して通学する学校を選択する)学校は教育活動の内容等を保護者等に情報公開する。これまでのように学校が提供する情報が要覧のように一様であれば、学校選択の基準を提供するものではないが、各学校が特色ある教育活動を展開していれば、それらの情報公開によって、児童生徒のニーズや資質や能力に相応する学校を選択することができる。また、教育活動の「質」も重要な学校選択基準になる。さらには、望ましいことではないが、教職員情報に基づいて児童生徒が転校することも十分考えられる。不登校児童生徒の処遇にかかわって通学区の弾力化や学校選択制が導入された経過をみれば、登校児童生徒の学習意思の尊重を基調として学校選択制を採用する論理は容易に構築できる。
 高等教育段階においては、在籍する学校にかかわらず、学習の専門性によって他校教員の指導を受けることは日常化している。高等学校段階以上であると学校間の連携・協力体制によって一定の制限はあるものの、相互に単位取得することを認めている。義務教育段階においてこのような対応が可能か否かは教育行政のマネジメント能力に依存する。
 このような方向とは逆に、各学校に地域住民の代表からなる「学校理事会」を創設して、教員の人事や予算獲得に地域がイニシアチブを取ることも、コミュニティ・スクールの思想や英国、米国の例をみると近い将来実現するかもしれない。ただし、自己点検評価の公表と学校を統廃合して学校数を少なくすることとは直接関係ない。統廃合の是非は、当該学校が税金に見合う成果を上げているかどうかを中心にアカウンタビリティを果たしているかどうかによって、補助金の打切りや廃校などの論議の対象になる。

(3)学校の対応

 学校管理職は教職員とともに、学校の適正配置の問題が卑近な「政治」や「経済」等と関係することから、それらの論議とは一定の距離を置き、中立性を守り、児童生徒の教育の立場から論理を展開する必要がある。また、その論議のプロセスにおいて「教育の論理」を主張しても、結果として、教育意思に沿わない政策が展開されようとも「中立性」を維持し、教育に専念する教職員集団でなければならない。
 ともあれ、学校の児童数の減少が、教科の指導や特別活動、「道徳の時間」や「総合的な学習の時間」にどのような影響を与えているかについて正確な情報を収集し、ネガティブな影響を排除するにはどのような取組みが必要か、特に少ない児童生徒数によって「教育」が成立するものかどうかを説明する責任がある。そのような情報に即して、学校の再編や統廃合の必要性は考えられなければならないのであって、無関係ではない。
 学校選択制が採用された場合、各学校の特徴を出すために、教育委員会と十分協議し、その理解のもとに思い切った改革を行う必要性がある。ことに、学校の教育意思というか教育理念を構築するために、学校管理職はリーダーシップを発揮し、教職員との理念の共有を図り、さらには保護者、児童生徒とも共有を図る必要がある。そのような努力をベースに、教育活動のプラン、ドゥー、チェック、アクションは進捗する。
 教職員の指導力を高めていく自律的な研修も期待される。かつて、本市の教職員は校内研修を頻繁に行い、自校からは指導力不足教員を出さないように協力し合い、努力していた。校内研修の活性化によって、指導力を高め、共有する教育理念の幅を拡大し、そこから達成すべき教育目標を措定し、具体的なアクション・プログラムを構築しなければならない。それが学校の特色ある教育活動になる。

設置者の対応1

(1)自然淘汰制

 全市を一学区として、比較的自由な学校選択制度を採用し、既存の学校が1学年8名、全児童生徒数が30名を下回るときはその学校を廃止し、近隣の学校に統合する方法である。
 この場合、小規模校が発奮して素晴らしい教育実績を示し、都市部から山間部などへの児童生徒の逆流現象がみられる可能性も否定できない。中学校は通学区を考えると困難な面があるが、原則的に全市一学区制に移行し、特色ある学校づくりを推奨し、教育の質によって児童生徒の選択が可能にすることができる。
 小学校については、全市一学区制は困難であり、三〜四学区制がこの方式を採用する限界点であろう。

(2)実態廃校制

 学区を変化させず残して全児童生徒数が0になって廃校するという伝統的方法である。これは、最近導入されつつある学校の教育努力や地域の支援を喚起する強いインパクトがないために、学校の優秀性への努力が担保できない。若い保護者の意識に変化を起こすことも少なく、山間部から都市部へという人口の流れは止まらない。

(3)人為淘汰制

 現行の学区を半ば強制的に統合して適正規模校に近づけるという方法である。費用−効果分析に基づく逼迫する自治体の財政状況を前面に出して保護者や住民を説得する方法であり、通常は懇話会などの民主的よそおいをトンネルにしてこのような方法を採用する自治体は多い。しかし、実質的に教育の質の確保が困難な場合は財政的理由だけでなく、教育の論理に照らしても、行政権を行使できる。
 このストラテジーは学校がコミュニティセンターであり学習施設であるために住民の抵抗をしばしば受ける。

設置者の対応2

 児童生徒一人ひとりの個性や創造的能力の伸長、豊かな人間性、学(校)歴にとらわれない生き方、など主体的で多様な人生を可能にするには、幼児期からの教育の充実を図り、個々の学習ニーズと幅広い進路選択に対応した特色ある学校づくりを進めなければならない。
 各学校の特色ある教育活動といっても少子化の中で、教育の効果を増進するためには、タテ、ヨコの学校間連携の必要性が高まる。学校改革においては幼児教育から高等教育までの接続が問われている。

(1)子育て支援センターとしての保育所、学童保育の充実

 家庭の教育力の低下や地域の子育て支援機能の弱体化が進行している。学校規模の適正化が進行すると、学童保育の果たすべき役割が一層大きくなる。総じて、幼稚園や保育所は子育て支援センターとしての機能を向上させなければならない。少子化の歯止めはかからず、平成13年は全国で117万人台に落ち込んでいる。子育てに不安を抱かせない施策が重要である。学級崩壊は小学校低学年にも散見される。この現状は、幼児期から集団生活に必要な社会性や善悪の判断力を養う必要性を物語っている。

(2)公立小中学校の充実

 新教育課程を踏まえ、1.校長をリーダーとした教職員の創造性を発揮した特徴があり、かつ、魅力ある教育活動を展開すること。2.地域の人的・物的資源を教育活動に活用すること。3.学校の小規模化を自然現象と理解するのではなく、それを逆手に取った学校の活性化方策を展開すること。各学校において、独自の教育課程を開発したり、独自の教育活動の時間を設けたり、独自の教育方法を行ったりして、子どもや保護者の選択の幅をもたせると同時に、各学校の誘因性を高める努力が求められる。
小学校において、学級担任制を固定したものと考えず、その良さを活かしつつ、個に応じたきめ細かい指導を行うため、学級間連携、学年単位の指導(ヨコの連携)や複数学年合同(タテの連携)の教育活動等を工夫する。ティーム・ティーチング、教員間で専門性を生かし合う交換授業や合同授業、中学校や高等学校の教師による授業など、学級担任制の弾力化を推進する。また、教育方法の多様化も必要である。
 中学校においては、個に応じた授業や芸術、スポーツ活動等を効果的に推進するため、複数校が合同で教育活動を企画・運営し、実践する学校間連携を拡充する。また、小学校から中学校への進学に関しては、全市一学区とすることも有力な考え方である。そのとき、すべての学校がかつてのように画一的、硬直的な教育活動を行っていては無意味である。学習指導要領の範囲内であってもそれぞれの特徴を出さないと意味を持たない。
 適正な学校規模は、最近の各種自治体の答申の多くが、小学校は少なくとも1学年2学級(学校全体で12学級)、中学校は1学年4学級(同12学級)程度が望ましいとしている。しかし、竹原市はこのような適正規模を持つ学校に再編するには山地が多く地理的条件が許さない。地域の実情を踏まえた小規模校の活性化と一部再編整備にとどまらざるを得ない。残存させなければならない学校の活性化等は通学区域の弾力化によって対応し、廃校せざるを得ない条件を持った学校は、不登校など課題を抱えた児童生徒の全県的な需要などによって、別の特徴をもった学校に再編し、「教育のまち」竹原市を打ち出していく方策はある。

論点4 特色ある学校づくり

 中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について(平成10年9月)」は、学校の自主性・自律性の確立をめぐって、現行制度の概要と課題を明らかにした後、教育委員会と学校の関係の見直しと学校裁量権限の拡大、校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上、学校運営組織の見直し、学校の事務・業務の効率化、地域住民の学校運営への参画を提言した。その後、学校教育法等の一部改正はこの線に沿っており、学校は、子どもの個性を伸ばし豊かな心を育むため、学校の自主性・自律性を確立し、自らの判断で学校づくりに取り組み、特色ある教育活動を展開することが期待されている。
 この傾向に関して、従来の教育行政から学校が相対的に自律し、各種の自主的な裁量権が付与されたとする理解が一般的である。しかし、「教育・学習」の論理に即して、その協働体系の自主的・自律的な計画・統制過程を担える本来的な姿に近づいたとする理解こそが求められる。欧米の学校経営において、「生徒の成績」(学力)がその成果と理解されていることは周知のことである。学校の本来的な機能は学力の確かな向上に置かれている。

設置者の対応

(1)児童生徒の多様な才能を伸ばす

 従来、学校は学習指導要領に従い、全国一律の教育を展開した。教育機会の均等化という視点に立つときこの意義は大きい。しかしながら、そのために「画一化」「硬直化」「閉鎖性」という体質を強め、児童生徒の個性伸長の芽を実質的に摘んできた。極論すれば、「他人との差異を認めることを<差別>とするような誤った平等意識」(読売新聞の改革案より)が充満したのである。
 学習指導要領には厳格に従うべきところと、学校の創造性を期待するところとが混在している。後者が学校の特色ある教育活動を打ち出せるところである。前者において確かな学力の向上に努力し、後者において、児童生徒の多様な個性(才能)に合った教育を創造することによって、個性豊かな人間形成を図りたい。

(2)社会奉仕体験活動による人間性の陶冶

 これまで特別活動の一部を構成していた勤労体験活動や奉仕活動は、国会審議を通じて、学校教育法及び社会教育法の一部改正という「法」に位置づいた。政令や省令ではなく、ましてや法的拘束性を持つといわれる学習指導要領でもなく、「法」に位置づき重みを増している。
 この法は小学校から高等学校に適用されるものだが、現在、中教審においては18歳以上の具体的な方策も審議されている。
 この目的は、勤労精神や奉仕的活動を疎んじる人間性を問題にするものだが、本市においては、学校を廃校にするのではなく、このような長期にわたる「奉仕」教育を率直に受容し、それに専用にあたる学校への転換が考えられてよい。
 また、財政基盤の沈下、誘因性のなさは、労働基盤の脆弱性に原因を求めることができる。工業、商業、農業などの既存の産業を通じて勤労を重んじる態度を涵養し、かつ、それらから脱皮していく起業精神を養う教育も適切に位置づけたい。

(3)多様な学校形態の許容

 ゆとりの中で「生きる力」を期待する現行の教育システムであるが、学校の教育形態が既存のままではそれも画餅に過ぎない。既存の学校であれば、「一人学び」「習熟度別学習」「選択教科の拡大」などでしか、そのようなニーズに対応できない。
 県立でなくても、市立でよいから中等教育学校を1校、他の県立高校を中高一貫校として、「ゆとり」を実質的に増やし、学習指導要領を最低限の学力保障として捉え、それを超えた高度な個人のニーズに即した専門的な教育が可能なシステムを構築したい。
 小学校、中学校において、第3セクター型の学校、公設民営型の学校(コミュニティ・スクール)に切り換えることを考えてよい。さらには、学校を民間に売却して、広島県内の既存学校に価値を見出さない児童生徒の学校(フリースクールの創設)や、ブランド私立学校の附属化も視野に入れてよい。

(4)公設民営化等

 私学の経営はこれまで上級学校への拡大であったが、これからは下級学校の確保であると推定される。慶応大学の幼稚舎の例はその典型である。
 公設民営化とは、公立学校を学校法人に経営を委託する方法である。私立小学校や幼稚園に通学すると、当該法人の大学までの道が大きく開けているとすれば、現在、少子化で統廃合の対象になっている学校であっても、○○大学附属小学校になれば、その魅力によって学校の存続は図られる。
 また、近隣の私立岡山小学校や中学校は学校五日制にも迎合せず、保護者や児童生徒が求める「学力」向上を全面に出して学校を経営するという。このような学校の存在は現在の教育システムのもとでは否定できない。
 竹原市が既存の学校のすべてを抱えることに財政的な困難を本当に覚えるのであれば、設置者として維持できないと想定される学校を、信用できる学校法人に経営権を譲ることも考えられる。
 たとえば、近隣の東広島市には近畿大学が付属中・高等学校を経営している。東広島市は現在学齢児童生徒が増加している数少ない自治体であるが、現在の保護者が高齢化し、児童生徒が成長したとき、少子化の方向に向かう。そのとき、私学が優秀な入学者を確保しようとするニーズは容易に考えられる。公立小学校の経営を学校法人にゆだねることはそのニーズを満たすためである。
 竹原市が財政的理由で学校の統廃合を考えているのであれば、このような行政努力をすることを奨励する。市の中心部の公立学校を民営化すれば自治体としての責任放棄につながる。しかし、周辺部の学校を民営化し、市民の保護する子女の学力向上という教育ニーズに応えることはそれほど常軌を逸脱した施策ではない。
 県費負担教職員(負担の半分は国庫補助)は市町村にそれほどの負担をかけるものではない。物的条件整備にのみ負担を背負っているに過ぎない。一般行政が民営化の可能性まで論及して、児童生徒や住民に不安や不満を与えるとしたら、この政策は優先順位を下げることになる。

(5)多様な教育方法の許容

 かつて、信川実校長のもとで行われた「自発協同学習」は全国に知れわたる教育方法として高い評価を受けた。その学校は「教員養成学校」とも称され、校内研修の優れた学校としても評価されている。広島県には本郷プラン、西条教育など先駆的な教育活動が存在した。学習指導要領に従う枠組みははずせないが、校長の教育理念、そして強いリーダーシップを信頼して、各学校が教育方法において特徴を出していくことを期待したい。現在、学校管理職になりたくないという風潮が全国的に広まっているが、教員になって自分の理想を実現できることは相当に魅力あることであり、民間人校長にはできない専門性である。最低でも5年間、学校経営を任せ、内部人事権等の校長のエンパワーメントを図る必要がある。

(6)学校評価の必要性

 このような学校の自主性・自律性を認める以上、当事者の適切なアカウンタビリティと外部による「教育効果」の客観的な評価が必要とされる。いくら理想を抱えても学校の秩序が保てないのであれば、校長を辞する覚悟が必要である。

論点5 学童保育と保育所の拡充

竹原市の人口移動は、高度経済成長期のように激しくないが、家族構成の変化(少子高齢化・核家族化)、ライフ・スタイルの変化、雇用労働者ことに女性労働者の増加、雇用機会の外在化などによって、家庭生活は変化している。また、地域における近隣同士の交流や連体感の喪失は着実に進行した。
 このような中で、保護者(親権者)が直接子どもに対して行う教育、家庭の教育的風土、家庭同士の交流の中で行われる教育作用のいずれも、本来のあるべき姿を失った。たとえば、1.保護者の育児不安、過保護、過干渉、放任など、2.家族内の交流、対話不足などの教育力の喪失、3.近隣関係にみる教育力の弱化などである。
 また、保護者が教育熱心であっても、たとえば、教育的関心が知育に偏り、基本的生活習慣をはじめとするこれまで家庭が担っていた教育的役割が十分に果たされていないという状況がみられる。このような子育ての側面だけでなく、家庭における性差別の実態や、高齢者の介護・看護、さらに家庭経営などの側面も、教育が一定の役割を担わざるを得ない。家庭教育は人間形成の基盤である。
 学校週五日制と労働日とのズレ、週休二日制に恵まれた勤労者であっても、学校週五日制と必ずしも曜日が合致していない。家庭ごとのライフ・スタイルが異なっている。家庭における教育は「私事性」が原則だが、学校日であっても勤務時間外に子どもを放置しているわけにはいかない。行政をはじめ、地域が面倒をみなければならない。

設置者の対応

(1)乳幼児、学童保育の充実

 専門施設の拡充、既存施設(公民館など)の保育・学習機能の充実、専門職員の養成・配備、学習・生活プログラムの開発と実施、ボランティアの組織化と配備などが求められる。

(2)家庭教育学級、PTA研修会等の拡充

 明日の親のための教育、人権を基底に据えた性教育の実施、近隣同士の教育的互助態勢の構築、子どもの全面発達を促す家庭教育の振興、教師と保護者との研修会の充実、勤労者のための事業体における家庭教育講座の開催なども必要である。

(3)家庭教育に関する情報提供、相談事業の拡充

 家庭教育相談事業の拡充、家庭教育に関する良質の情報提供などが期待される。

(4)性差別の撤廃等、家庭の民主化を図るための講座の開催

 家庭における男女の固定的役割分担の解消、性を尊重し、性の平等性を育む教育の伸張、介護教室などの開催なども必要である。

論点6 地域の学校支援

学校経営がうまくいくためには、保護者や地域住民が主体となった「地域教育経営」の存在が期待される。地域教育経営は「一定地域のなかで人々の教育・学習に関係する者が、教育の実態を直視し、教育観や理念の共通理解を深めながら、地域の教育目標や課題を設定し、その達成に向かって教育領域や機能の分担を図り、教育資源を最大に活用し、相互に連携することによって、総体として人々の教育・学習を促進する営み」である。
 地域教育経営の必要性はようやく地方自治体や学校の理解を得るようになった。それは、地域、家庭ぐるみの教育体制づくりや、学校の具体的な教育活動を説明する責任(アカウンタビリティ)を履行し、地域社会や家庭の協力を求めたり、地域社会自体が教育事業を展開したりするようになったことによる。また、生涯学習の振興により、自らの学習を自らが経営していくという風土が醸成したことにもよる。
 このような地域教育経営は、学校、家庭、地域の教育連携を期待するものであり、子どもの問題行動や保護者の問題行動の解決を志向するものである。学校が位置する地域性の相違もあるが、それぞれの地域において、問題解決的な教育経営システムが存在すれば、学校経営も一層円滑化する。人格の完成を目指した人間形成の場は学校だけではない。あらゆる生活環境が学習材なのである。

設置者の対応

(1)教育的コミュニティの創造

 中教審の答申は、自主的・自律的な学校経営を可能にする教育的コミュニティの創造を管理者(教育委員会)の任務に位置づけた。それは換言すれば、「地域教育経営」システムの構築と言える。
 地域教育経営の基盤はいわゆる「コミュニティ」である。これは草の根的自治の可能な範域で小学校区を理想とする。最大でも中学校区の日常生活圏でありたい。地域教育経営というシステムは、経営実体として地域社会の中に次の行為の存在を期待している。

  1. 教育・学習活動の実態を直視し、問題点や課題を析出し、地域としての教育目標や課題を設定していく行為と関係者にそれを周知する行為。
    これは保護者や地域住民自身の教育・学習の課題を見出していくことに主に関連するが、子どもの教育・学習を中心とする生活全体を見つめ、問題行動の「芽」に気づき、地域課題としていく行為を含む。
  2. それらの達成に向かって、地域に存在する教育組織体のそれぞれの役割や機能を見直し調整していく行為。
    学校には「本来的な学校教育に専念してもらおう」という配慮を、保護者や地域の人々が認識する必要性がある。教員に「指導力がない」とか「不適格だ」というラベルを貼る前に、授業以外の教育活動を余儀なくさせ、過重負担を強いたりしてきた責任を自覚する必要がある。保護者や地域の住民が、家庭ではどのような教育を担うべきか、地域社会はどのような態勢をつくって教育・学習を振興させるべきか、学校を支援するには何が必要かを考えたい。
  3. 教育組織体および他の教育に関係した地域組織をも含め、教育の相互連携を図っていく行為。
    保護者が連携し合って、「挨拶運動」や「オアシス運動」をはじめ、「生きざま」を伝える活動や、戦争体験から平和の尊さを教える活動、あるいは伝統的な文化行事等の継承活動を行ったり、学校のゲスト・ティーチャーになって協力したりするなどは、教師の活動を補助するものとして評価される。これらは、問題行動の予防的教育を構成する。
    通常は、学校外の教育活動であるスポーツ少年団の活動や、文化的・芸術的な活動が展開する。子どもたちが地域への行事に参加し、青年やおとなと一緒になってものごとをやり遂げるなかで、成長・発達する自然な姿である。
    学校の生徒指導の範囲を超えるような少年の攻撃性や退行性に対しては専門的機関との連携が必要になる。前者(攻撃性)の学校教育は矯正的性格を持つが矯正教育ではない。後者も不可解なところが多く、専門家の診断が不可欠である。
  4. 地域の教育・学習資源(人的、物的資源の双方)を最大限に活用していく施策の立案や実施と学習の障碍を可能な限り除去する行為。
    地域教育経営において拠点となる施設は、学校、社会教育施設などの専門的教育機関や施設はもとより、文化施設、スポーツ施設、福祉施設など、人々に学習機会を提供しているすべての施設である。それは人々の生涯にわたる各時期の教育・学習に供する施設という視座と、その各時期の全生活関連のなかで展開される教育・学習に資する施設という視座とから総合的に理解されるものである。同様に、団体、指導者などもそのような資源としてみなされ活用の対象である。他方において、教育・学習を阻害する要因の除外も地域教育経営の重要な仕事になる。
  5. 人々の教育・学習活動を調査研究し、有効な活動を保障していく企画や実施。
    経営主体は、人々の学習を支援する計画・統制過程の担い手である。それは必ずしも教育委員会であるとは限らない。<人々の生涯にわたる「学習」の組織的・体系的な「教育」的援助が、地域で展開される各種の教育事業であるが、行政はその条件整備と事業の一部を担う存在>として理解される。地域教育経営の主体であれば、教育内容や方法にまで企画や実施を行うことができる。これらは、地域における教育組織体それぞれの主体的経営を尊重しながらも、総合調整機能を持ち合わせ、かつ、住民の主体的な参加と関与を保障するものでなければならない。
(2)学校の支援体制

 教育改革国民会議報告(平成12年12月22日)においても、学校の支援態勢に言及し、「教育委員会や文部省など教育行政機関も、管理・監督ばかりを重んじるのではなく、多様化が進む新しい社会における学校の自主性、自律性確立への支援という考え方を持たねばならない。教育行政や学校の情報を開示し、適切な評価を行うことで健全な競い合いを促進することが、教育システムの変革にとって不可欠である。…学校が孤立して存在するのではなく、親や地域とともにある存在にならねばならない。良い学校になるかどうかはコミュニティ次第である。コミュニティが学校をつくり、学校がコミュニティをつくるという視点が必要である。」と指摘している。このような認識の下に、家庭教育の充実、地域の教育力の向上、保護者団体や非営利活動団体(NPO)の設立、有害情報等から子どもを守る、地域で育つ、地域を育てる学校づくり、外部評価を含む学校の評価制度の導入、学校評議員制度、地域が運営に参画する新しいタイプの公立学校の設置などを提言する。提言に見られる「地域学校協議会」は先の「地域教育経営」とは異なるが、地域において人々の教育・学習に関わるものが主体的にそれを高める自主的・自律的行為を必要としている。

  1. 教師が「学校本来の機能を十全に果たす」ように、保護者や地域住民は学校支援を展開する。
  2. 学校経営への参加は「介入」ではなく、保護者や地域住民が教育責任を十分に果たすことである。
  3. 地域住民の教育・学習的コミュニティづくりは子どもも成長・発達にポジティブな影響を与える。

論点7 竹原市は「高質教育」の実践を

学校教育、社会教育の主たる担い手は教員であり、社会教育主事である。このいずれも、市民に必要な知識と技能、及び「生き方」を教える教育者である。それゆえに、強い責任感と使命感が求められる。
 竹原市の教育は、遠くは頼山陽、近くは池田勇人の無言の財産に甘んじ、竹原市独自の教育理念もないまま教育界の「牛後」に位置し、「質」の高い教育を求めて、先頭を走る「鶏口」の意思さえ不足している。
 教育委員会や教職員は、児童生徒に対して本当に差別を許さない教育に挑戦したのか。子どもたちの個性の伸長に応えた学力の向上を行ってきたのか。激動の社会をたくましく生きる力を育てようとしたのか。
 児童生徒や保護者との摩擦を恐れ、ことなかれ主義の教育を実践してきてはいないだろうか。教育の対象におもねた教育からは、竹原市の現状すら真剣に考える児童生徒は育たない。
 現在、広島県といわず全国的に教員の「質」が厳しく問われている。「適切な指導」を欠く教員には相応の研修を課し、それでも指導できない者は転職を図る措置が進んでいる。転職すら不可能な者は分限処分の対象として免職される。児童生徒への猥褻やセクシャル・ハラスメント、体罰などを繰り返す教員、また、飲酒運転など公務員にふさわしくない行為をした者に対しては、免職等の重い懲戒処分を課す自治体も増加の傾向にある。「適切な指導」を欠く教員を児童生徒の前に立たせない措置が進んでいる。

設置者の対応

(1)竹原市の存続基盤に多様な「高質教育」を

 広島県の中で竹原市に住むと県内一番の教育を受けられるという地域にすべきである。それには、1.学習指導要領を遵守し、既存の教育システムの「質」の高い水準を目指し維持する学校(従来型学力向上校)、2.学習指導要領を遵守するが、21世紀の我が国に求められる高度な先端的科学、技術へと直接結びつく教育を実施する学校(真の学力を求める学校)、3.既存のシステム、価値観には拘束されず、「自由な子ども」の育成を目指し、「高質」への圧力から解放された「知・情・意の自由」を尊重する学校(子どもの自己決定、個性、体験を重視する学校)、など多様性が求められる。第三のタイプは、優れた信頼性のあるフリースクールでもよい。

(2)優れた教職員の確保

 優れた教育を実践するには、優れた教員を採用し育てる必要がある。採用、研修、評価など多角的な観点から教員の資質・能力を検討し、「適切な指導」力を備えることはもちろん、特色ある教員づくりを独自に展開する必要がある。
 現在、教員の構成は約45歳を平均として年齢構成に極端な偏りが見られる。これがコホート効果を生み、思考や実践の硬直化の原因ともなり、特別活動の不振、行事やクラブ活動の切捨てにつながっている。竹原市は、年齢構成の偏りのない学校現場づくりに向けて、思い切った政策を出すべきである。
 この度の免許法の改正にあたり、社会人の登用が可能な特別免許状から「学士」の資格が不要となった。学級規模の適正化ともかかわるが、知識だけでなく、スポーツ、芸術、奉仕体験活動の指導力などに優れた(得意分野を持つ)者の活用で、学校を活性化させなければならない。採用にあたり、人間性に配慮することは何よりも重要である。
 なお、優れた教員には相応の人事異動や処遇を与える報償システムも必要と考える。

(3)学校評価の実施

 学校の教育評価、教職員評価、児童生徒に教育「成果」が現れているかどうかという児童生徒評価(学力に限らない)などを定期的に行う必要がある。それも、教職員自らの評価が中心になるが、地域や保護者による外部評価、児童生徒による評価などを行って、常に反省し、学校教育の改善を志向して行く必要性がある。

(4)高質教育の開放

 竹原市の発展に教育が直接寄与するためには、各種の学校改善の成果を広く情報公開していくだけでなく、教育活動の実態を開放していく姿勢が求められる。何よりも教育理念に沿った成果が求められる。成果なくして、質の高い教育とは言えない。そのためには、市内の既存の学校設備を活用して、多様な教育システム(中等教育学校の創設など)を構築していくことにためらってはならない。

2. 具体的な試案

これまで述べてきた適正配置にともなう教育の質の向上を図る具体的な方策は、「設置者の対応」という形で抽象的ではあるが論議してきた。ここでは懇話会の委員が考えた試案を提示することにより、市民がさらなるよいアイディアを提起されることを期待したい。

1 具体的試案を考える立場

(1)学校の統廃合に慎重な立場

  • すべての学校は規模にかかわらず児童生徒数が0人になるまで存続する。
  • これは、学校が児童生徒の通学の利便性に応えており、知的な発達において、1人でも授業が可能なことによる。
  • 学校は地域社会のさまざまな活動の拠点であり、シンボルである。
  • 小規模の複式学級である学校は、他の学校区から入学、通学を認める特認校として存続させる。
  • 学校を支える努力は、学校管理主体の教育委員会にあるが、今日的にはその存続は地域住民の経営的努力によるところが多い。

(2)学校の統廃合はやむなしとする立場

  • 一定規模以下の学校は教育の質が確保できず、統廃合もやむを得ない。
  • そのためには、交通の便などの条件ができるだけ同じになるようにスクール・バスの運行などを行う。
  • 統廃合を進捗させる場合は、当該地域住民のできるだけ総意に基づく。とりわけ、当該地域間に対立のしこりが残らないように配慮する。
  • 少人数指導によるきめ細かな指導も重要だが、多人数での学習によって効果を上げる教育活動がある。本市における柔軟な学校間交流学習の機会を制度化して多人数化が可能なようにする。
  • 本市の財政に圧迫をかけることなく、現在の義務教育諸学校を残存させる経営的努力を行う。それでも効果がない場合は統廃合も仕方がない。
  • やむをえず学校を統合する場合は、魅力ある教育を中心にした学校統合計画を市民に公表し、説明しなければならない。
  • 小学校の統合は、心の支柱を失う感がある。当該地域の諸活動の拠点としてはもとより、その施設を活用した施策が必要である。

(3)学校の統廃合に肯定的な立場

  • 学校基本調査に基づくと、学校の統廃合は不可避である。
  • 統合すると、既存の学校の位置は適切でない場合もあるが、これらの問題は本懇話会のテーマでない。
  • 本市全体の学区の廃止も有力な方策である。換言すれば、学校選択制の導入である。
  • 本市の各学校は特色ある学校教育、学校経営を進める。
  • 学校の教育の質を高める方策の一環として統廃合を進める。とりわけ、どのような学校の規模であれ、それに対応する優秀な教職員の確保は必須の条件である。

2 具体的試案

試案は地理的条件を考え、竹原市の北部、中央部、沿岸東部、沿岸西部という順番で提示していく。

(1)小学校

北部の3小学校のケース
1.仁賀小学校
  • 直ちに廃校ではない。児童数の減少を考えれば、廃校の対象になる。一定の児童数に達しない状況になれば荘野小学校と統合する。
  • その間、学校教育法や社会教育法によって規定された社会奉仕体験活動の専用施設として存続するなどの了解が得られれば、将来、本市義務教育諸学校の社会奉仕体験活動や自然体験活動の拠点校ないし拠点施設として活用する。
  • 大学の辺地教育実習校としての条件に適応している。そのさい、児童数の一定の確保が必要なので、児童数の推移に従わざるを得ない。
  • 学校に寄宿舎を設置し、全県的なフリースクールに転換していくことも考えられる。
  • 環境のよさ、交通の便のよさ等から、県立教育センターの一施設として存続させることもできる。それは指導力の向上を図る現職教員の定常的な教育実習校である。
2.田万里小学校
  • 児童数の現状を考えれば、当面は存続していける。しかし、いずれ一定児童数を切れば、荘野小学校と統合する。
  • 荘野小学校にしても田万里小学校も国道の側にあり、社会奉仕体験活動の専用施設としては仁賀小学校に比較して立地条件はよくない。
  • 東広島市の住民を呼び込み、児童数を増やすなどの努力があってもよい。特に、外国人留学生の家族、若手院生の夫婦などの住宅環境は西条において恵まれていない。三万円台の家賃であればニーズがある。
  • 寄宿舎を設置し、全県的なフリースクールへ転換していくことも考えられる。
  • 交通の便のよさ等から、20年経験者研修などを対象にした県立教育センターの一施設として存続させることもできる。
  • 現在の小学校はコミュニティ活動の場とするため、地域住民に維持管理委託し、その施設の利用方法などに関しては自主的・自律的経営にする。住民のワークショップにより決定させる。
3.荘野小学校
  • 仁賀小学校、田万里小学校と近々統合してもそれほど児童数の増加は見込めない。少人数のきめ細かな教育によって、児童の学習を支援する優秀な教職員が必要である。
  • 小学校区の広さとしてはあまりにも広大すぎる。学童保育を充実し、保護者の労働時間に応じてスクール・バスを運用するなど、通学サービスの拡大に留意する必要がある。教職員が8時間勤務した後、保育士等を雇用しなければならない。学童保育体制の整備が急がれる。
  • また、経済的基盤の脆弱性から来る土曜日、日曜日における児童の生活ネットワークの充実も大きな課題になる。沿岸部のような学習・文化施設がない。いずれにせよ、閉校された仁賀、田万里小学校の活用において、子どもの休日の活動拠点性は残存する。
  • 統合の対象として、小梨小学校を含む案も提示されている。
中部の6小学校のケース
1.小梨小学校
  • 児童数の現状を考えれば、平成16年度より、竹原小学校に通学することが望ましい。
  • 小学校は原則として廃校する。地域住民の適切な存続案や経営努力がない場合、管理責任者において施設の存廃を検討する。
2.東野小学校
  • 東野小学校は人口動態を考慮すると単独で存続させる。
  • その理由として、平成19年度までの児童数・学級数推計を見ても、今現在で統合、存続を考えていくレベルまでは達していない。
  • 東野町は現在住宅の造成が進んでおり、子供がまだ増加する可能性がある。
  • 将来、社会の変化に伴い、荘野小学校、中通小学校との統合も視野に入れる。
3.中通小学校
  • 単独で存続させる。
  • 高質教育を進める。
4.竹原小学校
  • 単独で存続させる。
  • この竹原小学校に小梨小学校、大乗小学校と統合する案が提示されている。
5.竹原西小学校
  • 単独で存続させる。
6.大乗小学校
  • 単独で存続させる。
  • 大乗小学校は将来、竹原小学校に統合する案が提示されている。
  • そのさい、跡地はバンブー公園と連携したグランド・イベント会場等に再編成するという付記事項が示されている。
東部の2小学校のケース
1.忠海地区
  • 両学校に関しては未だ統合を考えるには早計である。西小学校の方が児童数は多いが、これは忠海団地など新興地区と昔ながらの古い地区の違いが如実に現れたものである。
  • この地区は全国的に優良な企業や大久野島、古い町、寺社、黒滝山など魅力的な要素も多くある。思い切った方策を取ればまだまだ発展の可能性がある。
  • 現状の小学校を維持しつつ、体育など集団でなくてはできない授業については共同で行うなど、両校の連携・交流を密にして少人数校の弊害をなくす方策を期待する。
2.忠海西小学校
  • 上記のような理由により、当分の間、単独で存続させる。
  • 高い質の教育を提供するという観点から、忠海東小学校と忠海西小学校とは統合するべきであるという意見もかなり強いものであった。
  • そのさい、当該学校の保護者、地域住民の意思を尊重しなければならないことは当然のことである。
3.忠海東小学校
  • 複式学級になろうとも、単独で存続させる。
  • その場合、教育の質を確保できない分野が出てくるが、地域の支援と学校間の連携、交流によって、それらの欠陥を補わなければならない。
  • 教育の質の確保を考えるのであれば、優秀な教職員の確保、学童保育の拡充、教育予算の拡大等を条件に、早期に忠海西小学校と統合した方がよいという意見も複数存在した。
  • いかなる場合でも、東小学校が担ってきたコミュニティ活動の拠点性などは尊重されなければならない。
西部の1小学校のケース
1.吉名小学校
  • 吉名小学校は、場所的にも吉名中学校に移転し、小学校、中学校の9年間一貫教育のよさを前面に打ち出す。
  • 吉名小学校跡地は、駅前という立地条件を活かして再開発する。
  • 現状のように、単独で存続させる意見も存在した。

(2)中学校

1.賀茂川中学校
  • 基本的に存続する。
  • 賀茂川中学校は地理的な不利な条件と、自然環境の悪化を考慮し、空調設備等を整備し、通常の授業において支障のないようにする。
  • 体育運動等はグランドの空気の悪化などを考慮し、浄化装置の付いた体育館を活用する。空気のきれいなグランドを活用して生徒の保健に留意する。
  • 自然環境と少人数のメリットを生かし、たとえば、数理的能力向上実験校としての特色を持たせる。
  • 竹原中学校や東広島市への中学校など外部に生徒が流れると予想されることから、高質教育によって、生徒や保護者の関心を留めておく必要がある。
  • 賀茂川中学校は、平成19年度までの生徒数・学級数推計を見ても、未だ統合、存続を考えるレベルには達していない。
2.竹原中学校
  • 基本的に存続する。
  • 竹原中学校は現在、適正規模校である。
  • 隣接する県立竹原高等学校と「中等教育学校」化が推進できる。教育の質が高まり、人口の減少をくいとめるものであれば一考に値する改革案である。そのさいは、竹原市立中等教育学校となろう。
  • 中学校区制の廃止にともない、生徒が集中する可能性がある。その際、マンモス校の弊害を防止するため、他校とは異なり、生徒数の制限を設けることも考えられる。
  • 大規模化しても、少人数指導によるきめ細かな指導を必要とする。また、それが規律ある生徒指導につながり、学力向上の基盤を保障する。
  • 中学校区二分案もある。それは賀茂川中学校と竹原中学校とを残すものである。
3.忠海中学校
  • 基本的に存続する。
  • 忠海地区の小学校以外の生徒を受け入れるために、たとえば、外国語重点校(英語や中国語)になり、英検1〜2級程度の実力を養成する学校としての特徴を持たせる。
  • 中学校区を二分する案が出された。それは賀茂川中学校と竹原中学校とを残すものであり、そのときには忠海中学校は廃校される。
4.吉名中学校
  • 基本的に存続する。
  • 竹原中学校へ生徒が流れると予想されるから、小学校との統合を図り、9年間一貫教育等の特徴を持たせる。
  • 9年間一貫教育のよさを生かし、個性伸張の教育に重点を注ぐとともに、各教科の学習を進捗させるとともに、たとえば実用外国語の能力を全員に持たせるなどの特徴を出す。
  • 中学校区二分案によると吉名中学校は廃校される。

3 すべての学校にかかわる試案

(1)義務教育諸学校区の廃止

  • 竹原市全体の学区を細分化しないで、全市一学区とする。
  • 小学校は児童の発達段階から考えて物理的に困難な条件が多すぎるので、ブロック制も考えられる。しかし、懇話会としては、小学校については上記の統合案にとどまる意見が大勢を占め、学区制の統合はそれほど論及されなかった。しかしながら、現在、文部科学省が考えている統廃合促進法が成立するような事態になれば、市町村合併と併行して、小学校段階の学区制も再考する必要がある。そうすれば、1.論点の整理のところで検討した「自然淘汰」が進捗する。
  • 中学校区は原則的に全市一学区制を採用し、学校選択制の導入を図る意見が有力であった。

(2)適正配置基準

  • 適正配置の基準が不明確であるから、財政事情や児童数、地理的要因のみで判断できない。教育の質的基準によって適切に判断しなければならない。
  • 当面、小規模学校の弊害も多くあり、学校間交流や教育内容別統合などの努力を要するが、適切な時期に統廃合することは避けられない。
  • 完全学校週五日制のなかの「ゆとり教育」は、学齢児童生徒におもねることでも、学習者本位といって甘やかす教育でもない。時間的、精神的ゆとりのなかで、学習者(児童生徒)がじっくりと思考して「解」を求めたり、ものづくりを完遂したり、集団で生活する一定のルールを修得する教育・学習活動である。その観点から学習集団規模の適正規模を考える必要がある。
  • 「開かれた学校」として、学校の教育活動がガラス張りになる一方で、学校の教育活動を支援する教育コミュニティの維持・発展が期待される。そのような教育コミュニティが成立する規模も考慮に入れる必要がある。
  • 子どもの学習空間が時代の流れとともに大きく変わってきた。学習塾もポジティブに評価されるようになり、早い時期(幼年期)からピアノなどの習い事に励み、スポーツ少年団やサークル活動に参加して人間性や技能を磨き、IT機器や図書館の充実を通じて「一人学び」が進んでいる。学習のあり方がこのように変化した今、学校は固有の教育活動を遂行しなければならない。それが可能な適正規模を確保する必要がある。
  • 地域社会においては「個」が中心となっており、「公」の意識が大きく崩れている。学校は、成人が一定集団を確保して「コミュニティ形成」の学習を展開する視点を見逃してはならない。
  • 適正規模の具体的な数値は、1.論点の整理の理念のところで論議している。教育の質を損なわない適正規模の確保が重要であることを最後に指摘しておく。

(3)学校間協力

  • 社会奉仕体験や自然体験が組織的に展開できる学習校を制度化して実施する。
  • 体育多人数体験交流学習、音楽多人数体験交流学習なども制度化する。学校間交流による協力体制を構築する。
  • 各学校に特色を持たせる。これまでは教科の面で特色ある教育活動を展開することが少なかった。これからは「総合的な学習の時間」だけでなく、教育活動全体を通じて特色を出す努力が期待される。学校の差異性が交流協力の基盤である。
  • 中学校では、学校としての特色ある教育活動に加えて、つぎのようなコースを設けて、自己を見つめる機会を与える。
    • 芸術コース 陶芸、書道、絵画、彫刻、デザイン
    • 音楽コース 声楽、さまざまな楽器演奏
    • スポーツコース いろいろなスポーツ活動、トレーナー的なものも含む
    • ボランティアコース ボランティア活動、介助など
    • 農林・水産コース 農業全般、花栽培、造園、漁業関係
  • 学校間協力を容易にするためには、児童生徒の長期休業日の在り方、学校の学期の持ち方、補助教員の確保など課題が多く、今後、これらの面の検討を必要とする。これらを含めて、校長の裁量権にすべきかどうかも、行政の課題である。
  • また、学校間交流にとどまらず、県内の文化施設、社会教育関係施設との連携も進める必要がある。竹原市にとどまっていては、児童生徒は、たとえば、ほんものの芸術に接することもなければ鑑賞することもない。

(4)教育の質の向上

  • 確かな学力と人権意識、最後までやり遂げるしなやかな耐性を有するたくましい児童生徒の育成を図る。
  • 「ゆとり教育」は、児童生徒がじっくりと思考しながら自らが「解」にたどり着く成功経験、ものづくりにおいても中途であきらめるのではなく最後までやりぬく成功経験などを積み重ねる精神的、時間的ゆとりを意味する。放任主義とは異なる。
  • 自立できる児童生徒を育てる。自立は自律に通じる。自己の感情のおもむくままに動くのではなくて、自己を見つめなおし、自省し、欠点を修正しながら一人前になっていく筋道を児童生徒は学習しなければならない。
  • 自分の適性を早く見つけ目標を持たせる。小学生が夢を持たなくなった。中学生は惰性によって上級学校に不本意入学を行う。高等学校段階の中途退学の原因はさまざまだが、このような気持ちも作用している。何が自分を生かす道なのか。生き方、在り方教育の充実によって「たくましくしなやかに生きる」竹原っ子に育てる教育を期待する。
  • 各学校に教育活動の差異性を持たせる。

4 おわりに

  • より良い教育環境をつくり、特色ある教育を行うためには、人事的、財政的条件等の整備に関する配慮を怠ってはならない。
  • 魅力ある学校づくり、特色ある学校づくりの推進が、真の竹原市立義務教育諸学校における適正配置の基礎・基本である。魅力ある教育環境の創造のための適正配置を期待する。
  • 「開かれた学校」の推進の核は、教育活動等の公開と情報公開である。学校評価を含めて、保護者、住民の情報のフィードバックを尊重した学校経営を期待する。
  • 各学校に優秀な教職員を配置、確保するなどの努力を期待する。
  • 保護者、地域住民が本当に学校統合を望んでいるのか、いないのかの意思確認に基づき、適正配置の施策を推進しなければならない。

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