福田社倉

更新日:2022年01月14日

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勾配のある坂沿いに建てられている社倉の白黒写真

市史跡

  • 所有者 竹原市
  • 所在地 竹原市福田町中谷1571
  • 指定 昭和38年9月13日

安永9年(1780)に設置された社倉で、明治7年(1874)まで続いて利用されていますが、明治3年(1870)ごろから社倉と別に「籾」の貸付を主とする義倉として利用されています。そしてその制度は、昭和になるまで続いていたと言われています。文書類も多数残っており、竹原書院図書館に保存されています。
間口4間半、奥行2間の平屋造りでふた間に仕切られています。

社倉

江戸時代に行われた備荒貯蓄制度の一つで、大勢の人が殻物を出し合って村の蔵に貯え、飢饉の時に借り出し、収穫期に返済をするなど自治的に処理したもので、義倉、常平倉と併せて三倉と称されます。
義倉の制度は唐から輸入されて、大化の改新の時期にはすでに行われていましたが、社倉は江戸時代になってできた制度で、中国の朱子によって創設されたといわれる社倉法が、山崎闇斎によって「朱子社倉法」として紹介され、各地で設置されるようになりました。
広島藩では延亨4年(1747)全ての村にこれを設けるように定めました。

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