福田社倉
ページID : 2942
市史跡
- 所有者 竹原市
- 所在地 竹原市福田町中谷1571
- 指定 昭和38年9月13日
安永9年(1780)に設置された社倉で、明治7年(1874)まで続いて利用されていますが、明治3年(1870)ごろから社倉と別に「籾」の貸付を主とする義倉として利用されています。そしてその制度は、昭和になるまで続いていたと言われています。文書類も多数残っており、竹原書院図書館に保存されています。
間口4間半、奥行2間の平屋造りでふた間に仕切られています。
社倉
江戸時代に行われた備荒貯蓄制度の一つで、大勢の人が殻物を出し合って村の蔵に貯え、飢饉の時に借り出し、収穫期に返済をするなど自治的に処理したもので、義倉、常平倉と併せて三倉と称されます。
義倉の制度は唐から輸入されて、大化の改新の時期にはすでに行われていましたが、社倉は江戸時代になってできた制度で、中国の朱子によって創設されたといわれる社倉法が、山崎闇斎によって「朱子社倉法」として紹介され、各地で設置されるようになりました。
広島藩では延亨4年(1747)全ての村にこれを設けるように定めました。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化生涯学習課
〒725-8666 広島県竹原市中央五丁目1番35号
電話番号:0846-22-2328
ファックス番号:0846-22-8460
メールでのお問い合わせはこちらから
更新日:2022年01月14日