大久野島毒ガス資料館紹介
来館者の皆様へお願い
資料館にいらっしゃる全ての方に安心していただけるよう、基本的な感染対策に、皆様のご協力をお願いします。
来館時のお願い
発熱や軽度であっても咳・のどの痛みなどの症状がある場合は、入館を御遠慮いただくようお願いします。
館内でのお願い
- 入館時・退館時の手洗いやアルコール消毒、咳エチケットの徹底をお願いします。
- 会話は控えめにし、特に大声での会話は行わないようお願いします。
- 人と人との接触を避けるため、他の入館者と十分な距離をとっていただくようお願いします。
- 来館者が多い場合は、入場の制限を行う場合がありますので、ご理解・ご協力をお願いします。
大久野島毒ガス資料館
戦争の悲惨さを 平和の尊さを 生命の重さを
所在地
広島県竹原市忠海町5491番地
大久野島の過去
大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3キロメートルに位置し、数戸の農家が耕作を続ける島でした。昭和2年には、島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となりました。昭和4年には、東京第二陸軍造兵廠火工敞忠海兵器製造所による毒ガスの製造が始まり、昭和20年まで続けられていました。
日本軍が毒ガスを製造していたということは、昭和59年(1984年)まで日本ではほとんど知られていませんでした。化学戦の実態は慎重に秘匿され、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかったのです。昭和59年(1984年)に日本の化学戦実施に関する報道がされて以来、日本の毒ガス兵器の研究開発は旧陸軍化学研究所(東京)、大量製造したのは大久野島(広島県竹原市)、充填は曽根(福岡県北九州市)、化学戦の運用、訓練には旧陸軍習志野学校、といった日本の化学兵器の構図(陸軍習志野学校史)が明らかにされています。
大久野島の現在
大久野島は休暇村として開発され国民の保養地となり、往時を偲ばせるものはわずかに砲台跡・発電場・毒ガス貯蔵庫など数少なくなっています。この島で毒ガスを製造した過程で多くの犠牲者を出すに至ったこと、この痛ましい事実を今に伝えるため、関係各位からよせられた当時の資料を展示して毒ガス製造の悲惨さを訴え、毒ガス兵器をこの地から絶滅させ、平和な世界の確立を希求しています。
大久野島毒ガス資料館は、広島県、関係市町並びに障害者団体のご理解とご協力により昭和63年に建設されたものです。近くには、大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑が昭和60年(1985年)に建立され、安らかな永眠を祈願すると共に、恒久平和を念願しています。
概要
電話番号 | 0846-26-3036(ファックス兼用) |
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交通案内 | 広島空港から忠海港まで車で約45分・山陽自動車道河内インターチェンジから車で約40分・JR呉線忠海駅から徒歩約5分、忠海港から船で約15分。大三島から船で約20分。 |
開館時間 | 9時00分〜16時00分(入館は15時40分まで) (注意)そのほか、臨時に開館時間が変更になることがあります。 |
休館日 |
年末年始(12月29日〜1月3日)(注意)そのほか、臨時に休館することがあります。 |
資料館館内 |
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料金 |
19歳以上一般150円、団体(20名以上)120円 (注意)次の方は、入館料が免除になります。
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毒ガス資料館の取材撮影について
毒ガス資料館内を取材撮影する場合は、毒ガス資料館取材撮影許可願を事前に提出し、許可を受けてください。
申請様式ダウンロード
毒ガス資料館取材撮影許可願 (PDFファイル: 74.1KB)
毒ガス資料館取材撮影許可願 (Wordファイル: 31.5KB)
申請先:竹原市市民福祉部地域づくり課生活環境係
〒725-8666 広島県竹原市中央五丁目1番35号
電話番号:0846-22-2279 ファックス:0846-22-2280
MAIL:chiiki@city.takehara.lg.jp
この記事に関するお問い合わせ先
市民福祉部 地域づくり課 生活環境係
〒725-8666 広島県竹原市中央五丁目1番35号
電話番号: 0846-22-2279
ファックス番号: 0846-22-8579
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更新日:2024年08月15日