春風館頼家住宅(しゅんぷうかんらいけじゅうたく)

更新日:2022年01月14日

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低い木の柵の中に玄関以外が佇んでいる木造の建物の写真

国重要文化財

  • 所有者 個人
  • 所在地 竹原市本町三丁目7-24
  • 指定 昭和63年12月19日

頼山陽の叔父、頼春風(しゅんぷう)の家。
春風(1753〜1825)は大阪で医学と儒学を学び、安永2年(1773)に帰郷し医業を開業しました。安永末年(1780)には塩田経営に乗り出し、天明元年(1781)に春風館を建築し、実家の紺屋(こうや)は叔父の伝五郎にゆずりました。
その人柄は「篤実(とくじつ)柔和(にゅうわ)」で人々から尊敬を受けていました。春風は家業のかたわら学問にも力を入れ、町の子弟の教育にあたりました。寛政5年(1793)には「竹原書院」の設立に尽力し、竹原の文化の向上に貢献しました。

また甥の山陽には常に深い愛情を注ぎ、山陽の脱藩後も春水との間に立ってその独立を助けました。山陽も生涯に何度も竹原を訪れ、春風には『日本外史』の著述の相談をしています。春風も山陽の才能には一目おいていたようです。
春風は兄春水や弟杏坪の出世と活躍の影で始終竹原にあって家業を守り、春水の没後はその息子である聿庵(いつあん)の後見役となり、藩から七人扶持(ぶち)を与えられて御医師格となりました。

建築当初の建物は安政元年(1854)に焼失しており、現在の建物は安政2年(1855)に再建されたものです。
長屋門と玄関構えをもつ武家屋敷風の建物であり、茶人「不二庵(ふじあん)」の設計と伝えられています。奥に祠堂(しどう)として茶室を持ち数奇屋風の意匠に統一されています。

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