礒宮(いそのみや)(忠孝岩)

更新日:2022年01月14日

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「忠孝」の文字が彫られた千引岩の写真

県史跡

  • 所有者 礒宮八幡神社
  • 所在地 竹原市田ノ浦一丁目6-8
  • 指定 昭和12年5月28日

礒宮は、鎌倉幕府の御家人であった後藤実元が建久5年(1192)に豊前国宇佐宮から勧請したと伝えられています。

もとは鳳伏山に建てられ、成井川が海に入る磯辺にあったので礒宮と呼ばれるようになり、実元の子孫代々の守護神であったと伝えられています。
その後、当時の神官であった唐崎正信によって万治元年(1658)に現在地に遷宮しました。正信は長男定信に礒宮を継がせ、以後代々唐崎家が神主を継ぐようになりました。

定信は京都で山崎闇斎から垂加神道を学んで帰郷し、竹原の町人に広めるなど儒学者としても活動し、定信の後にも、唐崎家からは儒学者が輩出されています。
境内の忠孝岩は、勤皇家でもあった唐崎家5代神主、唐崎常陸介が地元に人々に尊皇論を根付かせようとして、千引岩に宗の文天祥筆の「忠孝」の二文字を刻んだものと伝えられており、礒宮とあわせて県史跡に指定されています。

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