竹原市街地を西から見おろす朝日山山塊の西裾、下野町宿根に抜ける谷筋中ほどにある。これまで全くその存在は知られていなかったが、地元の人によって、鉄滓(金糞ともいう。製鉄に伴い排出される不純物。産業廃棄物)が散布していることから発見された。遺跡は山の斜面を削って作った平坦面にあり、鉄滓は斜面下方に廃棄されていた。 発掘調査してみると、鉄を溶解する炉はすでに壊されてなくなっていたが、炉の地下にある保温、除湿用の施設が見つかった。その構造は、平坦面を掘り下げた中に幅0,7m前後で向かい合う2つの壁(長さ3,9m・幅0,3m・高さ0,8m)を作り、その間に焼き土、木炭を詰め、台状の施設を作り、その上に製鉄炉を築いていた。その長軸の両側に鉄滓を流し出して廃棄するための土坑を設け、炉の短軸を挟んで鞴を設置していたようだ。原料は砂鉄で、炉に砂鉄と木炭を交互に挿入し、燃焼させた。千数百度で砂鉄は溶け、おそらく銑鉄が生産されたものと見られる。
炉の地下施設の形から、中世後半の15?16世紀頃に操業されたことがわかる。通常、古代以来の製鉄は中国山地が有名で、後にたたら製鉄として発展したことがよく知られている。中世製鉄に関しては、小早川氏同族の吉川氏の領地が鉄特産地であり、その関係で小早川氏領地でも生産が始まった可能性が高い。
|